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田沼意次 相良城 田沼街道

田沼意次  「田沼意次」、この人物の名前を聞いて、みなさんはどんなことを連想しますか? おそらく、みなさんは「賄賂政治家」を連想したと思います。
 しかしそれは、当時の政敵が批判をした結果です。 近代の研究では、「田沼意次」は時代を先駆けた視点を持ち、 農民に重税を課すのではなく、商業を重視し、民衆を富ませる経済政策を行った政治家として、高く評価されています。
 江戸時代の享保4年(1719年)、田沼意次は、紀州藩の足軽出身の父「意行(おきゆき)」の長男として生まれ、幼名を竜助といいました。 15歳のとき、「徳川家重」の小姓として本丸に仕え、将軍に珍重され、宝歴8年(1758年)には、相良一万石を拝領し、大名に取り立てられました。
 つまり、ここ牧之原市(相良)の殿様だったのです。
 明和4年(1767年)、将軍より築城を許可された意次は、翌年から相良城の築城を開始しました。 その後、相良城が完成するまでの11年間、意次は、更に破竹の勢いで出世し、相良藩を含む7か国14郡を跨ぐ57,000石の大名となり、老中に登り詰めました。そして、「田沼時代」と呼ばれる権勢を握ったのです。


◆尚早の政治家
 身分の低い家柄の出身であった意次は、家柄、前例、慣例、などに何事も拘束されていた封建時代に、 優れた先見性と創造性、そして努力により、老中職まで登り詰めました。 意次のとった政治は、当時では、驚きの「構造改革」だったのです。


◆田沼時代
 意次は、悪化する幕府財政の立て直しを図るため、農業主義だった政策から、重商主義の政策へと転換しました。株仲間、専売制、外国との貿易の拡大等、商業の発展のみでなく、鉱山や水田の開発など、社会資本整備も行い、財政は改善され、景気が良くなりました。しかし、人々の生活が金銭中心となり、贈収賄が、社会に横行してしまいました。 これが、「田沼意次=賄賂政治家」と評される所以と言われています。


◆意次の不運
 このような世相の中、天明年間の飢饉、浅間山の大噴、などの、飢饉や天災が相次ぎました。さらには、保守派の政敵により、長男の「田沼意知」を殿中で暗殺されてしまいました。その上、頼りにしていた「将軍 家治」が病死してしまい、権勢を失いました。 そして、「松平定信」をはじめとする反田沼勢力により、領地を没収された上に隠居を命じられ、天明8年(1788年)7月、意次は失意のうちに70歳で亡くなりました。


◆寛政の改革 意次失脚後
 江戸時代の三大改革の一つに数えられる「寛政の改革」は、田沼意次を失脚させた「松平定信」によって行われた、緊縮型の改革です。 改革のはじめ、田沼時代を批判した「田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水」という歌が流行りました。
 しかし、厳しすぎる改革を強いられ、「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という、世俗的な田沼時代を懐かしむ歌に変わりました。  そして、思考統制や質素倹約を強いるこの改革は、閣僚内の対立と、庶民の反発を買い、「松平定信」もまた同じように失脚しました。


◆相良城
 宝暦8年(1758年)。第9代 将軍「家重」が、田沼意次を相良1万石の大名に取り立てた時、「相良」には城はなく陣屋しか有りませんでした。
 明和4年(1767年)。第10代 将軍「家治」は、意次が相良に城を築くことを、許可しました。東西500m、南北450mで約7万坪に及ぶ規模の「相良城」は、有力な大名のみに許される「天守」を持っていました。 しかし、意次が失脚した後、「松平定信」により、相良城内の財産は没収され、相良城は徹底的に打ち壊されてしまいました。 現在、城の跡地には、下記のような建物になっています。
「城跡」→牧之原市役所相良庁舎
「本丸跡」→牧之原市史料館(石碑あり) (石碑の場所)
「二の丸跡」→牧之原市立相良小学校
「三の丸跡」→静岡県立相良高等学校

相良城石碑


◆相良の藩政
 田沼意次が治めた相良では、助成金を出しての防火対策(藁葺き屋根を瓦に変える)、街道の整備、相良港の整備、等、インフラが整備されました。 また、製塩の助成、養蚕、ロウソクの原料となる櫨(はぜ)の木の栽培を奨励するなど、殖産興業政策を行いました。 一揆の処理をした経験から、年貢の増徴を行わず藩政を安定させた意次は、相良藩においては「名君」だったようです。


■田沼街道
 田沼意次が整備した街道は、東海道の宿場町「藤枝」から牧之原市「相良」の間を結ぶ街道で、現在でも「田沼街道」と呼ばれています。 現在は舗装路が整備され、昔の面影はありませんが、「大鐘家(おおがねけ)」付近では、昔の田沼街道面影を見ることが出来ます。
(石碑の場所)

田沼街道起点

■ お問い合せ  0548-53-2625 (牧之原市史料館 地図)


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